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1996と2015

 ラグビー日本代表のワールドカップでの活躍は、今年のスポーツ界においてひときわ輝かしい光を放った。その最終戦、ノーサイドの笛を聞いた瞬間、脳裏にオーバーラップしたのは、19年前のアトランタ五輪男子サッカー代表チームの姿だった。

 当時、優勝候補ブラジルにまさかの勝利を収めたのは、今回ラグビー代表が南アフリカに勝ち「世紀の番狂わせ」と言われたのと同じ初戦だった。予選リーグで2勝1敗と勝ち越したのに得失点差でグループ3位となってしまい、宿舎で帰国の荷造りをしなければならなかった当時
の選手の悔しさは、今回3勝もしたのに帰国の便に搭乗しなければならなかったラグビー選手たちと似ている。

 さらにもっと言えば、19年前のサッカーを取り巻く現状と今回のラグビーのそれとが、とても似通っていることも興味深い事実である。
 当時Jリーグ発足直後のサッカー界は、2002年のワールドカップ日韓共催も決まり人気に拍車がかかっていた。ラグビーも4年後に日本
でワールドカップが開かれることになっている。
19年の時を越えて、「楕円形の魅力」がかつてのサッカー人気の成長にダブってみえる。

「単なる偶然だよ」と言われればそれまである。ただ、もしそうであっても、その後に日本のサッカー界がたどってきた道程を、ラグビー関係者は検証し「良いとこ摂り」する必要があるのではないだろうか。

  19年前の敗退はサッカー界を筋肉質にした。男子代表は初のワールドカップ出場を果たし、そこから5大会連続で「世界との距離」を測る旅に出続けている。地域に根差すクラブチームも増え、「百年構想」というフラッグシップの下で着実にファンを獲得している。女子の代表も2011年に世界一に輝いた。街のクラブのあちこちで少女たちがボールを蹴っている。「マイアミの奇跡」は「マイアミからの成長の軌跡」へとつながったのだ。

 ラグビー代表チームの「驚き」は冷めようとしてはいないだろうか。
相変わらず特定の選手だけをクローズアップする大メディアの姿勢は「一過性の人気」で終わらせてしまう危険をはらんでいる。高校ラグビーの現場を歩くと、都道府県代表の決定戦だけでは見えてこない、深刻な部員不足の問題があちこちで露呈している。トップリーグの選手たちは試合や練習の合間に地域でラグビー教室を開き、競技人口の増加に思いを込めている。こういった取り組みも丹念に報じていかなければいけない。

 私たちのできることは「地域スポーツを応援するメディア」で居続けること。この言わば「座高の低い視点」によって、様々な競技の活性化を下支えしていく一助になれば、と思うのだ。


本誌編集長 梶原弘樹

2015.12.14編集部より